https://youtu.be/rL2Fx_a5YlM?t=91
2021年1月31日をもって、PHSが25年の歴史に幕を下ろすそうです。
それを聞いて、はっとして、思わずYoutubeを漁って探してしまった映像があります。
2000年春に放映されていた
DDIポケットのPHSサービス「H”(エッジ)」
のTVCMです。
冒頭に貼った動画の1:31から流れる15秒バージョンのCMが、わたくしの社会人初仕事になります。
わたくしの入社した映像制作会社は、わたくしの入社前からこのTVCMシリーズをずっと担当していて、わたくしは4月1日に入社したのち、そのままこれといった研修もなく、同期1名と一緒にこのCMの担当チームに放りこまれました。
撮影日はもう既に4月下旬と決まっていて、そこまでの約3週間、それはそれは怒涛のような洗礼を受けました。
ロケ地になったアパートは、ロケハン(ロケ場所を探してくる仕事)という言葉の意味もよくわからないまま先輩に連れられて、同期と一緒に探してきた埼玉のハウススタジオです(その時、わたくしはものすごい大失態を犯すのですが、それはまた何かの機会に…)。
とにかく直面するもの全てが未経験なのに常に本番だったので、毎日訳の分からなさとプレッシャーで吐きそうでした。
そのお陰もあってか、わたくしは「やる」ということに対して、ためらわずに前に進める、誰よりも瞬発力のある人間に育ちましたが、あの当時は心底大変でした。
でも時代はPHS全盛期で、このシリーズのTVCMもばんばんテレビで流れていた(そして今よりもテレビを見ている人がずっと多かった)ので、周囲の人に「どんな仕事してるの??」と聞かれた時は、このCMを作っている、と応えると、一発で理解してもらえるほど、わたくしにとっては名刺的存在の仕事でした。
この撮影に一区切りついて、いざ帰宅、となった時、会社のあった西麻布の高樹町付近から表参道の駅まで、骨董通りを1歩あるくごとに寝てしまうほど、疲労困憊状態だった当時の自分は、間違いなく、あの時世界で一番働いていた人間だと言い切れる自信があります。
その骨董通りの地面の色から、撮影の合間にコーヒーを手渡したトータス松本さんの目の輝きまで、20年経った今でも何もかも鮮明に覚えています。
あの時は、本当に「死ぬ…」と思いましたが、今の自分に必要な軸を授けてくれた仕事でもあるので、ガムシャラに食らいついてよかったなと思っています。
PHS終了のニュースとともに、そんなことを思い出しました。
東京・水玉バッグ&ファッション雑貨の店
「Accent Color(アクセント・カラー)」
オーナー 望月沙織