
こんにちは、望月です。
韓国は日本と同じで「ごはん(お米)」が食の基盤にある国なので、ごはんにまつわる表現がとても豊富です。
そもそも「食事」のことを「ごはん(밥)」と呼ぶのも一緒です。
ドラマを見ていると、オンマ(엄마=お母さん)はいつも「밥 먹었어?(ごはん食べた?)」と子どもの心配をしています。
お米の水加減 問題
現代には炊飯器という大変便利な家電がありますので、お米を炊くのはそんなに難しいことではありません。
でもうっかり水加減に失敗してしまったことって、誰しも1回くらいはありませんか??
我が家には小学校高学年になるお子が1人いるんですが、最近少しずつ家事を手伝ってもらうようにしています。
先日はお米を炊いてもらったんですが、、、どうやら水加減を間違えてしまったようで、カッチカチに芯の立った仕上がりになってしまっていて、炊飯器の蓋を開けた瞬間、なんとも言えない顔をしておりました。
わたくし自身も、ぼーっとしていて自分が何合研いだのか忘れてしまって、ユルい炊き上がりにしてしまったことがあります。
このように、お米文化の人間にとって、ごはんの水加減は結構重要な問題です。
それもあってか、韓国では
「台無しにする」
ことを
「죽을 쑤다」(お粥を炊く)
というんですよ。
これは文字通り(?)、そもそもハナからお粥を炊こうと思ってお粥を作ったのではなくて、水加減を間違えて、蓋開けてみたら、お粥になっちゃってた、、、ということが背景にある表現で、
「普通に白米を炊きたかったのに、、、
口はすっかり白米なのに、、、、、、
やっちまった〜〜〜(泣泣泣)!!」
という自分の過去の経験まで立ち昇ってくるようで、初めて見た時、なんておもしろい表現なんだろう、とちょっとしみじみ感動した記憶があります。
と同時に、お米を炊くという行為が日常ではない文化圏の韓国語学習者の方がこの表現を見た時に、どんなことを思うのかな、なんてことも思いました。
日本ではなんで「お粥を炊かない」のか
一方で、どうして日本では「お粥を炊く」=「台無しにする」という表現が育たなかったのかな、とも思いました。
今でこそ炊飯器があり、内釜のメモリに沿ってちゃんとお水を入れれば問題なく炊き上がりますが、それでもなお失敗する我が家の人間みたいな人は少なからずいるでしょうし、ずーーっと昔には炊飯器なんてものはありませんでしたから、口伝と経験値で乗り切っていたと思うと、「水加減やっちまった問題」はそこそこ起こっていたんじゃないかなと思うのです。
それでも、お粥に仕上がろうと、カチカチに仕上がろうと、米は米として、受け入れ、ま、しゃーないか、、、と黙々と食べていた、と言うことなのでしょうか。
逆に言うと、韓国では、予想した仕上がり以外は全部ダメ、的な発想が日本よりも強いということなのでしょうか。
なんとなくこの辺のことを頭の引き出しに一旦しまいつつ、引き続き学んでいこうと思います。
ちなみに本日の写真は、ソウルのイベントで知り合った韓国人デザイナーからいただいた海苔で作った海苔巻き(김밥)です。ごま油のきいた海苔って、おいしいですよね。
그럼 또 봐요.
望月沙織
